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 トップページ天王山物語トップ天王山と付近の地図紹介戦国時代 油座、八幡宮光秀の誤算秀吉「信長」の弔い合戦合戦配置図 
本能寺の変の戦後処理 清洲会議の明暗朝廷の利用 戦国の武将とリンク・・宝寺城・・・・・・・・・・・・
                                                     
                        
    

                     
[ 戦国時代 ]
                                                                          
室町幕府を開いた初代将軍「足利尊氏」から、15代将軍「足利義昭」まで約240年間続くわけだが8代将軍「義政」の頃          
  義政の跡継ぎ問題や、幕府の重臣・同士の権力争い、相続争いが原因で室町時代最大の内乱が起きる。
応仁の乱              
  内乱以後幕府は権威 所領もまったく失い、下克上の風潮がさかんとなり、「戦国の時代」へと突入して行くのである。

         
乱世である。その乱世の世に一人の乞食のごとくの素性の男が、ここ京都の西の端,山崎八幡宮(離宮八幡宮)の油売り          
  商人として出入りし、京の油商人「山崎屋」に婿入りし財力をつけその後、美濃の長井家に取り入りさらに美濃守護の土岐

  をクーデターで焚き付け結局稲葉山城城主となり「策略」で反対勢力をつぶし「無欲を装い」取り入り美濃の国を統一させた             
  典型的な成りあがり者の戦国大名こそ蝮(まむし)の道三こと
斎藤道三である。                              
  その頃稲葉山城下に「楽市令」を布き,城下は一大消費都市となり、ついに土岐家を追放してしまう。土岐家が頼った織田
  信秀と組んだ朝倉孝景を撃退し、懲りた信秀は嫡子・信長と道三の娘・帰蝶との縁組を持ち出し道三も承諾している。


1551年信秀が死に、家督は「うつけもの」の信長が継ぐ。その信長は評判にたがわず{うつけ」で、諸肌脱ぎで瓜を
  かぶりつき、腰には瓢箪
、着るものは背中に男性の性器を描いていたというからまさに「うつけ」者には道三も参ったに
  違いないが、笑う家臣に対して道三は「わしの
こらはあのうつけの門外へ馬を繋ぐであろう」と予言し、斎藤家と織田信長
  家の同盟はより緊密となっていった。
      

  こうして油座として専売件を持っていた山崎八幡宮を舞台に財力をつけた道三は美濃の国主になり、織田信長を娘婿に
  迎え、死ぬ直前、信長へ美濃一国を譲る事を記している。同じ頃、
豊臣秀吉(藤吉郎)明智光秀の出合いと共に戦国の
  ドラマは展開し、そしてその後、舞台はこの山崎に帰ってくるのである。

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